2011年4月29日金曜日

「 最高裁に正義はないのか、大江健三郎勝訴とは」歴史捏造が勝訴する日本の戦後脱却を

 戦後の反日家達による歴史捏造が司法でまかり通っている。


今回の最高裁の判決は、大江の捏造歴史を取り上げ、赤松氏側の提訴を退けた。日本国の名誉まで貶(おとし)める結果となったことは残念でならない。


 南京大虐殺は、中国の捏造であることは数々の証拠を積み重ねて明らかになっている。しかし、稲田朋美衆議院議員が、弁護士時代に戦った南京の100人切りという捏造記事で死刑になったお二人の軍人のご遺族がおこされた、名誉毀損、事実捏造に関する裁判も敗訴となっている。いったい日本の司法はどこの国の司法か。いつまで、反日活動家、中国の捏造を許すのか。


 戦後の捏造歴史を打ち破る着実な国民運動と、稲田議員のような正しい歴史観を持った議員が構成する内閣が必要である。


参考:
沖縄戦「集団自決」の謎と真実

沖縄戦・渡嘉敷島「集団自決」の真実―日本軍の住民自決命令はなかった! (ワックBUNKO)

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眞悟の時事通信 2011年4月25日(月曜日)より
http://www.n-shingo.com/cgibin/msgboard/msgboard.cgi?page=624

 最高裁に正義はないのか、
  大江健三郎勝訴とは


 実は、このことは昨日に書くべきことだった。
マスコミ界では、大震災の東北被災地の様子や福島原発そして地方選挙の投票状況に目がいって、大江健三郎が、最高裁で勝訴したことは意外に小さく扱われていた。
しかし、この最高裁における大江健三郎勝訴判決は、我が国の最高裁判所が、


「国家における真実と正義」を認識できない
戦後の時流の中で泳いできた反日家達に
よって構成されていることを明らかにした
決定的「事件」である。


彼ら最高裁の裁判官達は、大江健三郎と同じ種類の人物で、自己の偏見によって裁判の基本である「事実認定」すらできなくなっているのか、もしくは、偏見を正当化するために事実認定を放棄して司法を裏切っているのか、どちらかである。


大江健三郎のことは、三月十一日の東日本大震災襲来以来、二~三日の携帯食料だけで被災地に入って屋根の下で眠ることなく、不眠不休の救助活動を続けている自衛隊員のご苦労を思うとき、時々脳裏の片隅に浮かんでいた。


「そういえば、大江という馬鹿がいて、この自衛隊員を同世代の恥だと罵っていたなー」と。


するとこの度、最高裁判所において、沖縄の渡嘉敷島などで大東亜戦争の沖縄戦で「軍の命令による住民の集団自決」があったと書いた大江の「沖縄ノート」(岩波書店刊)の記述が事実と認められ、「軍命令はなかった」とする原告の主張を認めない判決があり確定した、という報道があった。


大江の「沖縄ノート」では、渡嘉敷島の島民などは、軍の命令で集団自決に追い込まれたと書かれている。
大江は、その命令を赤松大尉が下したとして、赤松大尉をナチのユダヤ人大量虐殺者と同じであると罵倒し、「屠殺者」と表現している。


しかし、そのような命令を下していない赤松大尉としてはたまったものではない。また、これは、戦史における日本国の名誉がかかった問題でもある。


そこで、赤松大尉は原告となり、大江健三郎と岩波書店に対して自己の名誉の回復と、事実に反する「沖縄ノート」の削除をもとめる訴訟を提起したのである。


そして、この原告の主張を退け、軍命令はあったとして、原告を「屠殺者」とする「沖縄ノート」を未来永劫残すべしとしたのがこの度の最高裁判所の判決である。


では、赤松大尉の渡嘉敷島民に対する「集団自決せよ」との命令は、あったのか。その命令に従って島民は集団自決したのか。真実はどうなのか。


作家の曾野綾子氏は、沖縄の渡嘉敷島で現地調査を行い、生存者の証言を得ている。その証言は、


1、赤松大尉は、住民に自決するなと命じていた。


2、住民は、遺族年金をもらうために軍の自決命令があったと申告した。


この二つの証言があれば、事実の認定は明らかである。
集団自決の軍命令はない。
赤松大尉は集団自決を命令していない。
これ以外の結論は、ありえない。


しかるに、最高裁は、赤松大尉を「屠殺者」として罵倒する「沖縄ノート」の記述を護った。


無実の者を犯罪者として処罰しようとした検察は厳しく批判され断罪されている。


そうであれば、無辜を「屠殺者」とする「沖縄ノート」を存続させる最高裁も断罪されねばならない。


しかし、最高裁は、平然とそれを為して制度上批判を免れている。最高裁に「正義(ジャスティス)」はないのである。
我が国に、「司法」はないのか。


反日作家の大江に「屠殺者」とされた赤松大尉の無念、ご家族のやるせなさ、お察し申し上げる。
そして思う。
反日活動家、反日作家が、如何にまっとうな国民を言われなく苦しめてきたか。大江に恥辱とまで罵倒された自衛官達は如何に情けなかったか。


従って、もうこのような者達が「活躍する」ような戦後日本から脱却しなければならない。


ノーベル賞作家大江健三郎、彼と同じ年代の最高裁判所の担当判事達、そして、防衛大学校の校長でありながら総理の靖国参拝を非難する「衰亡構想会議」議長などは、全てトサカから足の裏まで「反日」という戦後の時代病に犯されているが故に出世した哀れな時代の廃物である。


さはさりながら!
最高裁の判決がどうであれ、
虚偽を書き連ねた大江の「沖縄ノート」が残ろうと、
集団自決の軍命令はない。


このことを確信しよう。国家の名誉を護ろう。
そして、何時もご冥福を祈ろう。
沖縄戦において集団自決していった多くの島民の皆さん。
また攻めてくるアメリカ軍を前にして、負傷兵の側を離れず戦死していった女学生である多くの看護婦の皆さん。
皆さんは、屈辱の生より栄光の死を選んだ英霊です。


イスラエルが、
二千年前の死海の畔のマッサダの砦で、ローマに降伏するより栄光の死を選んで集団自決した千名のユダヤ人を今も忘れず、
一九四四年十一月、二十三歳で栄光の死を選んでナチスに殺害された女性兵士ハンナ・セネッシュを今も忘れないように、
我が日本も、
沖縄戦における幾多の英霊に手を合わせてその苦難を思い、決して忘れてはならない。


最後に。
日本文学を研究してこられたドナルド・キーンコロンビア大学名誉教授(八十八歳)は、東日本大震災の発生から日本国籍を取得し日本に永住することを決心したという。
キーン教授は、自分が日本人と同じように感じていることを行動で示したかった、日本国民とともに何かをしたい、と読売新聞に語っている。日本への帰化は、震災で決意した。日本への期待と確信の表現だという。
キーンさんは、大東亜戦争末期に我慢強く疎開する人々を上野駅で見かけ、「こうした人々と共に生き、ともに死にたい」、「日本を愛し信じている」と日記に書いた作家の高見順に触れ、「私は今、高見さんの気持ちが分かる」と語った。
ドナルド・キーンさんは、年齢から見て、日本を死に場所にしたいのだ。
この報に接し、感動した。
東日本の苦難の中の人々と運命をともにしたいと、外国から日本に来られる文学者がいる。ありがたいことだ。


すると、同じ文学に携わる日本にいる大江という人物のことを思はざるをえない。
大江氏が、ドナルド・キーンさんと反対に、「沖縄ノート」という祖国の名誉を傷つける反日偽書を残すことに固執するほど日本が嫌いで、今黙々と働いている自衛隊を恥辱だと思うのなら、日本から出て、ノーベル文学賞をぶら下げて、あこがれの近くの人民共和国にでも帰化し移住されたらどうかと。セイセイする。
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産経ニュース2011.4.22 13:01より
http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110422/trl11042213010001-n1.htm

沖縄集団自決訴訟
 大江健三郎さん側の勝訴確定 最高裁

 太平洋戦争末期の沖縄戦で旧日本軍が「集団自決」を命じたとするノーベル賞作家、大江健三郎さんの「沖縄ノート」などの記述をめぐり、旧日本軍の元戦隊長らが名誉を傷つけられたとして、岩波書店と大江さんに出版差し止めなどを求めた訴訟の上告審で、最高裁第1小法廷(白木勇裁判長)は元戦隊長らの上告を退ける決定をした。集団自決についての軍の関与を認め、名誉毀損を否定した大江さん側勝訴の1、2審判決が確定した。決定は21日付。


 原告は元座間味島戦隊長で元少佐の梅沢裕さんと、元渡嘉敷島戦隊長の故赤松嘉次元大尉の弟の秀一さん。「沖縄ノート」と、歴史学者の故家永三郎さんの「太平洋戦争」の集団自決に関する記述をめぐり、「誤った記述で非道な人物と認識される」として提訴していた。


 争点は軍や元戦隊長らによる住民への命令の有無だったが、同小法廷は「原告側の上告理由は事実誤認や単なる法令違反の主張。民事訴訟で上告が許される場合に当たらない」として、判断を示さなかった。


 1審大阪地裁は「集団自決に軍が深く関与したのは認められる」と指摘して請求を棄却。2審もこれを支持し、控訴を棄却していた。










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戦後最大の国難の東日本大震災で「戦後」から脱却するときが来た

 今日の「昭和の日」に、心に染(し)みた正論をご紹介します。昭和天皇陛下が、二度の国難である関東大震災と敗戦の際、日本国民が茫然自失であった時、全霊を持って国民を励まされた。この後、日本は新たな姿で蘇った。いま、今上天皇陛下が被災者の方々を全霊を持って励まされている。三度目の国難の後は、戦後六六年の日本人弱体化洗脳からの脱却と入江名誉教授が指摘されている。そうありたい。
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MSN産経ニュース2011.4.29 02:58より
【正論】明治大学名誉教授・入江隆則
 日本よ、「自分の足で」立とう



 3月11日の東日本大震災から1カ月半がたって、「昭和の日」がやってきた。


今回の大震災は、明治以来最大規模の巨大地震、大津波、それとともに福島第1原発の炉心損傷による放射能災害という三重苦に苛(さいな)まれていて、人々はしばらくの間、「茫然(ぼうぜん)自失」の状態にあった。
その中で、今上(きんじょう)陛下が3月16日に、国民に向けたビデオメッセージを発表され、また皇后陛下を伴って被災地に入られ、直接、被害者を励まされた。


 私事で恐縮だが、目下シンガポールに滞在中の私の娘は、その日の電話で「こういう時になると、天皇の存在の意味が分かるね」と言ってきた。私はそれに同意したが、その後の1カ月、人々は少しずつ立ち直って、新時代への一歩を踏み出そうとしているかにみえる。そこで、本日の「昭和の日」を迎えて、私は昭和天皇の時代にも日本国民が2度にわたって、同じような「茫然自失」の経験をしていたことを思い出した。


 その第1の「茫然自失」は、大正12年9月1日の関東大震災の直後である。当時の元号は大正であったが、大正天皇がご病弱であられたため、昭和天皇が御歳(おんとし)20という若さで、大正10年以来、摂政宮として政務に当たられていた。関東大震災の規模は、今回の東日本大震災に比べると、幾分小さかったようだが、東京とその周辺が壊滅して、主としてその後の火災による死者が、今回の死者と行方不明者の4倍に近い、10万人を超えたということだから、人々の「茫然自失」は、今回に劣らぬ大きさだったろうと想像される。


≪大災害、敗戦と昭和天皇巡幸≫


 摂政宮は大震災3日後の9月4日に、早くも「摂政宮 御沙汰(ごさた)」を発表されて、「罹災者(りさいしゃ)ノ境遇ニ対シテハ心深ク之ヲ傷ム(中略)其ノ苦痛ノ情ヲ慰メント欲ス」と書かれている。その8日後の9月12日と、ほぼ2カ月後の11月10日には、2回にわたって「詔書」を発表されて、さらに国民を激励されている。


 昭和時代の2度目の「茫然自失」は昭和20年8月15日の大東亜戦争の敗北である。この時にはまず天皇の玉音(ぎょくおん)放送があり、日本国民は開闢(かいびゃく)以来の敗戦という事実に直面して「茫然自失」に陥った。その最中に昭和天皇は、昭和21年から29年までの8年半にわたり、165日をかけて日本のほぼ全県の3万3千キロを巡幸(じゅんこう)された。


 世界各国の君主は、その国が敗戦に遭うと、退位したり亡命したりするのが常だったから、アメリカ軍も最初は、天皇が罵(ののし)られたり石を投げられたりするはずだと考えていた。しかしその反対に、天皇がどこへ行かれても国民は大歓迎して、すすり泣き、また号泣し、その際、占領軍が禁止していた「日の丸」が振られ、「君が代」が歌われて、「君民一体」の実態が示された。占領軍の容喙(ようかい)による、23年の1年間の中断はあったものの、ご巡幸は継続された。それとともに、日本人は敗戦の「茫然自失」から脱却して、「日本の奇跡」といわれた、経済大国への道を歩み始めたのである。


≪「戦後」から脱却するときが来た≫


 さて、それでは3月11日の東日本大震災はどんな時代を終わらせるものとして解釈すべきだろうか。多くの人が同意してくれると思うが、それは何を措(お)いても「戦後」という時代の終焉(しゅうえん)でなければならないと、私は思っている。


 「戦後」という時代の最大の眼目は、アメリカの占領軍によって日本人の「精神の武装解除」が目指されたことである。


東京裁判という法的根拠のない「政治ショー」が実演され、


「日本国憲法」という名の一種の不平等条約が押し付けられたのも、その目的のためだった。


日本人は自らの歴史の解釈権を奪われて、「大東亜戦争」という呼称も禁止され、やがてその後「自虐史観」と呼ばれるようになる史観が強制された。


 世界の戦争史を振り返っても、敗戦国民が戦勝国民によって、これだけ完全に洗脳された例は、どこにも見ることができない。


 戦後の日本人が自分で自分の国を防衛するのを忘れ、


さらにまた自分の目で国際情勢を見て、それを自分の頭で考える努力を放棄してきたかに見えるのも、このためである。しかしアメリカへの過剰依存はもはや不可能となっている。


 それを如実に知らしめた「戦後」という時代の終わりこそが、3月11日の東日本大震災の際の、国民の「茫然自失」だったと考えるべきではないだろうか。


識者の多くが指摘している通り、今やアメリカの相対的な国力は衰退しつつあり、インドや東南アジア諸国の発展を含む「アジアの時代」が到来している。しかしその一角で、経済大国でありなおかつ軍事大国である中国が、西太平洋の支配を意図してもいる。


 そういう情勢の中で、日本が「自分の足で」しっかり立つことが必要であり、それこそが「戦後」からの脱却の意味である。


昭和時代の2度の「茫然自失」の後のように、われわれも自分の目で明日を見据えながら、前進しようではないか。(いりえ たかのり)
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2011年4月18日月曜日

長渕熱唱!被災者&自衛隊員に生歌エールにありがとう

 今まで、日本のメディアは自衛隊の活動をたたえるような報道はほとんどしなかった。
しかし、今回の災害では、まだまだ少ないが産経新聞を中心に報道されるようになってきたことは喜ばしいことです。
いくつか気に入った記事を転載したいと思います。
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msn産経ニュース2011.4.17 13:44より
長渕熱唱!被災者&自衛隊員に生歌エール 
http://sankei.jp.msn.com/entertainments/news/110417/ent11041713460006-n1.htm

 歌手、長渕剛(54)が16日、東日本大震災で被害を受けた宮城県石巻市を訪れ、歌で被災者にエールを送った。


 被災地のラジオ局10局で復興番組「長渕剛RUN FOR TOMORROW~明日へ向かって~」をスタートさせるなど積極的に支援活動を行っており、自衛隊と被災者を励ましたいと訪問を決意。この日朝に都内を出発し、飛行機で現地入り。避難所である石巻高校などを慰問し、大ヒット曲「とんぼ」「愛しているのに」をギターをかき鳴らして熱唱した。


 また自衛隊の活動拠点である同県東松島市の松島基地を激励に訪れ、「乾杯」など生歌を披露。迷彩柄の制服を羽織って約1500人の隊員ともにガッツポーズ。一人一人と握手し、「実際に歌わせて頂いて歌の力を感じた。これからも継続的に支援を行いたい」と誓った。(サンケイスポーツ)

【東日本大震災】長渕熱唱!被災者&自衛隊員に生歌エール
【東日本大震災】長渕熱唱!被災者&自衛隊員に生歌エール
【東日本大震災】長渕熱唱!被災者&自衛隊員に生歌エール
【東日本大震災】長渕熱唱!被災者&自衛隊員に生歌エール
【東日本大震災】長渕熱唱!被災者&自衛隊員に生歌エール
【東日本大震災】長渕熱唱!被災者&自衛隊員に生歌エール

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asahi.com2011年4月17日より
http://www.asahi.com/showbiz/nikkan/NIK201104170048.html

長渕慰問の自衛隊1500人に熱いメッセージ

 音楽家長渕剛(54)が16日、宮城県石巻市、東松島市を拠点に救援活動する自衛隊などを慰問した。航空自衛隊松島基地の飛行機の格納倉庫内で行ったライブで6曲を披露。長渕から「被災者のために立ち上がった日本人がいた。抱き締めたくなった」と熱いメッセージを受け、約1500人の隊員は、肩を組んで声を合わせ、復興に向けて気持ちを新たにした。


 剛コールが鳴り響く中、長渕は飛行機整備用の台で作られたステージに上がり、叫んだ。


「みなさんに、会いたくて会いたくて、たまらなかったよ~」。


続けて、抱えていた隊員への思いを口にした。


「この国が絶望に伏して、もう日本はダメだと思ったけど、みんなの勇姿…そこに日本があった。日本の誇り、僕の大事な大事な誇りです」。


登場前から興奮していた隊員のボルテージはさらに上がり、目に涙を浮かべながら「ツヨシー」「ありがとー」と繰り返した。


 長渕いわく、震災後に


「歌なんか歌っている場合じゃねえよ」


と、うちひしがれる自分を救ってくれたのが、
自衛隊の姿だった。


行方不明者の捜索、物資の供給、山のようながれきの撤去…。震災で家族を失った隊員も、目の前の任務を遂行していた。


全ては日本の、国民のために。その姿に長渕は


「たまらなくいとおしくなって、抱き締めたい」


と思い、東京から駆け付けた。


 その思いを込めて、ギターを手に「とんぼ」「乾杯」など6曲を歌った。隊員は身を乗り出して拳を突き上げ、肩を組んで左右に体を揺らした。沖縄第5高射群の山本祐敬士長(28)は「強い気持ちを持って沖縄からここに来ましたが、今日の出来事で自分が出来る極限が、伸びた感じがします」と言った。大の長渕ファンで、長渕がステージから投げたハーモニカをキャッチ。「これを見れば、一生忘れずに思い出すことができます」と話した。


 長渕は石巻市総合運動公園でも、3連隊を慰問した。迷彩柄の上着に袖を通し、隊員から写真を交えて現状の説明を受けた。第44連隊普通科連隊長の森脇良尚1等陸佐(46)は「温かい手だった。また頑張ろうと思いました」と感激した。


 長渕は「歌は…人の心をつなぐんだと痛感した。歌は絶対に必要。確信した」と実感を込めた。そして「心の復活をするには、僕らは音楽しかない。いい歌を書いて、なるべく東北に意識を向けて、気持ちと行動を一緒にしてみようと思う」と音楽家としての覚悟を口にした。【今井恵太】
:女性自衛官にサインする長渕剛=宮城県石巻市(撮影・蔦林史峰)
女性自衛官にサインする長渕剛=宮城県石巻市(撮影・蔦林史峰)

長渕は自衛隊慰問のほか石巻市役所、火葬できずに約300の遺体が仮埋葬されている墓地、被害が激しい海沿いの町にも足を運んだ。避難所となっている石巻高にはグッズのタオル300枚を持参し「言葉よりも、ギター持ってきたから歌おうよ」と、マイクなしで2曲を披露。避難生活を送る松岡由希子さん(36)は「すてきでした。こんなに近くで見られると思ってなかったし、元気になります」と感激していた。


<長渕剛の宮城被災地慰問>


◆午前9時30分 石巻市の自衛隊の拠点となっている石巻市総合運動公園に到着。3部隊の隊員と触れ合い、現状の説明を受ける。


◆同10時20分 石巻市役所訪問。


◆同40分 同市の北鰐山墓地を訪れ、火葬できずに仮埋葬されている約300の遺体の前で焼香し、手を合わせる。


◆同55分 避難所となっている石巻高で、グッズのタオル300枚を配り、「とんぼ」など2曲を熱唱。


◆同11時20分 海沿いで損壊の激しい同市南浜町を目で確かめる。


◆午後1時40分 航空自衛隊松島基地に到着し、飛行機の格納倉庫の中でライブ。約1500人の隊員の前で6曲を熱唱。


◆同2時40分 慰問を終え、帰路に就く。
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Youtube
東日本大震災
【長渕剛 被災者と自衛隊を慰問】 Tsuyoshi Nagabuchi
http://www.youtube.com/watch?v=XZxy4vtaXHI


東日本大震災 
【長渕剛 被災者と自衛隊を慰問】つづき
http://www.youtube.com/watch?v=pXO8cXB8mb4&feature=related

長渕剛 自衛隊激励ライブ
http://www.youtube.com/watch?v=DS8htf0-qfg&feature=player_embedded


長渕剛 TUBE 被災地でエール
http://www.youtube.com/watch?v=DsS274mCubE&feature=player_embedded

長渕剛 被災地 自衛隊訪問
http://www.youtube.com/watch?v=G9bgY1BXfVg&feature=related

長渕 自衛隊 mezamashi
http://www.youtube.com/watch?v=GK0Zmz9HrX4&feature=related

長渕 自衛隊
 tokudane hiruobi sanjapo omakase
(石原軍団、上戸彩、渡辺 謙さんも)
http://www.youtube.com/watch?v=IhBQhrFHpgg&NR=1



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2011年4月16日土曜日

菅政権は結果として中国共産党の希望通り日本の風評被害拡大を実行

西村眞悟の時事通信 2011年4月15日(金曜日)より
http://www.n-shingo.com/cgibin/msgboard/msgboard.cgi?page=621


再興前夜の混沌、国賊が官邸にいる


 本通信のタイトルを「再興前夜の混沌」としたが、別に大論を展開しようとするのではない。瞬く間に前に書き込んだ八日から十五日になっているので、その間貯まったことを書いておこうとしているだけである。明日十六日から二十一日までは、また何も書き込めなくなるだろう。
そこで、その貯まったことを振り返ると、この情けなさ混乱はあることの前夜だ。そのあることとは、断じて衰退ではない。
国家再興だと思った次第。


 まず、統一地方選挙前半の投票が終わった。
民主大敗だ。
昭和二十年九月十日に、国政選挙はできないが統一地方選挙はできるからとして地方選挙の投票をして、与党大敗だと思ってみよう。即、内閣総辞職。東久邇宮に大命降下であろう。
現実には、選挙はなく、鈴木貫太郎内閣は、ポツダム宣言受諾等の敗戦の手続きを済ませて、新時代の日本建設を次に託すとして、総辞職している。そして、東久邇宮に大命が降下する。


 選挙をしなかった鈴木貫太郎が総辞職した。
選挙をして大敗した菅直人は総辞職しなければならない。
戦後民主主義の権化、菅直人は、戦前は独裁国家で民主主義はなく、戦後こそ民主主義だと思っているはずだ。
だったら、その戦前でも新時代のために総辞職したのだ。戦後の今、選挙大敗を機会に総辞職するのが当たり前ではないか。


 しかし、こいつは、(もうこいつでいいのではないか)、辞めないで無茶苦茶なことをしている。
これのしていることを総合すれば、こいつは、馬鹿なのではない、
確信的な中国共産党の党員(手下)で、彼の内閣の閣僚(官房副長官を含む)とともに、明確に、日本を解体し衰退させるために動いているのではないか、と思わざるをえない。


 彼は、官邸内で、東日本はもうだめだとか、福島原発周辺は二十年以上人が住めないとか、言いまくっていたらしい。


この総理の妄言は、かつて聞いたことがある。そう。昭和二十年八月後半、正真正銘の原子爆弾が爆発した広島、長崎について言われていた流言飛語だ。


しかし、放射能は時間経過とともに急速になくなるのだ。
「放射能は時間が経つとともに急速に減っていき、爆発後数日でほとんど危険性はなくなる」(スイス政府編纂「民間防衛」より)。


 そして、広島市や長崎市の戦後の歴史と現状を見れば、このスイス政府の見解を日本人が世界に実証して見せていることは明らかではないか。
それを、濃縮度四%のウラン(爆発するのは濃縮度九十七%以上)で発電し、しかも地震発生後一秒以内に燃焼を止めている福島原発に関して、核爆発した直後の広島、長崎の流言飛語と同じことを総理が言ったとは恐れ入る。
というより、これを官邸においておくこと自体が風評被害を生み拡大させる。


 放射能影響学の札幌医科大学教授の高田純氏は、四月八日から福島原発周辺の放射能を調査し、十日午後二時に、福島原発正門前に立った。彼は、防御服など着ておらず平服のままであった。その状況を「チャンネル桜」のテレビカメラが写し全国に放映された。彼は言った。
「福島はチェルノブイリではない、安全だ。畜産業者は牛の世話をしに家に帰ってもよい。ここでは甲状腺癌は発生しない」


 高田純氏が、平服で福島原発正面玄関に立って、ここはチェルノブイリではないと言ったのが十日である。
しかし、翌日、政府は、福島原発をチェルノブイリ級の最悪の危険度レベル7としたのである。これは、世界の我が国への評価を決定的に貶める措置である。
私は、高田純氏の自ら実験台となった現場からの調査報告により、この菅内閣のしたことを受け入れることはできない。


いずれ、同志とともに、福島原発の廻りで野営し、バーベキューパーティーをしたい。


 また既にご承知のことであるが、菅内閣の官房長官は、食べても安全な福島のほうれん草を、出荷するな、食べるな、といっている。これは、取り返しのつかないコメントであり、風評被害の始まりであった。


また海江田という者は、大臣として、原子炉に貯まった水を海に流すのを「苦渋の選択」と言った。この水は安全だから流したのである。何が「苦渋の選択」か、馬鹿も休み休み言え。
そんなことを言うから、「危険物」を流したと思われ、福島沖の魚介類は築地の市場に入ることを拒否され、韓国政府からも事前に通報せよと抗議を受けるのだ。


 以上、菅総理の官邸内の昭和二十年八月の原子爆弾投下直後の流言飛語と同じ発言(もっとも、菅本人が言ったかとか本人は言わなかったとか言われているが、官邸内で菅を交えてこの会話があったことは確かである)、福島原発の危険度チェルノブイリ級の最悪レベル7への不当な引き上げ、さらに当初からの、菅内閣自身が風評被害の発信地となっていること、等を総合すれば、


菅氏と菅内閣は、国益を害し続ける内閣であると判断しなければならない。


 そこで、目を中国の動きに転じて、翻って以上の菅内閣の動向に戻れば、何が分かるか。
それは、菅との内閣は中国の手下としての役割を忠実に果たしているということである。


中国は、今盛んに国際社会に、日本はもうだめだ、日本は危険だ、その日本を助けてやっているのが中国だと宣伝している。それに、韓国も例によって少々同調している。


(イタリアから帰ってきた日本人が怒っていた。中国は救助隊を十三人出しただけなのに、日本を救っているのは中国だとイタリアで宣伝していたからだ。)


 そこでもうはっきり言いたい。
菅とその内閣は、日本人ではない。
中国の意向通りに、「日本はもうだめだ」、「日本は危険だ」と世界に発信するための仕事を忠実にこなしている中国の手下である。


 以上が、混沌の正体である。
では、これが夜として、朝が来るとどうして言えるのか。
それは、十日にこの「混沌の正体」である中国の手下が大敗したことから言える。菅内閣は、次の後半の選挙でも大敗する。


さらに、「頑張れ日本」、「たちあがれ日本」が生まれ成長しつつあるではないか。
これが、朝が来るとう確信だ。


 さらにこれから来年に向けて、総選挙は必至となる。
九月から、総選挙は秒読みの段階に入ると思う。
その実施時期は、年内か来年か不明ながら、総選挙を回避して、内外から押し寄せているこの国難から脱却する道はなく、
「国家の再興」もありえないと得心していただきたい。
その「国家の再興」は、
保守救国統一内閣樹立によって為される。
その保守救国内閣の首班は誰か。
平沼赳夫氏である。


 なお、雑誌「正論」六月号原稿を、昨日「正論」誌に送信した。国難に如何に対処するかを、精魂込めて書かしていただいた。発売の上は、ご笑覧いただきたい。
明日から、呉、福岡、東京を巡ります。
そして、近いうちに、福島原発前で、バーベキューだ!
何糞、たちあがれ、頑張れ、日本だー、!
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参考:【高田純】東日本の放射線状況を報告する会
[桜H23/4/12] より
http://www.youtube.com/watch?v=5xexvZitpOQ

福島第1原子力発電所の事故の後、居住する札幌から福島までの各地で放射線測定を行って、その健康に対する影響を調査してきた高田純氏が行った『東日本の放射線状況を報告­する会』(東京都内・4月10日)の模様をお送りします。




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2011年4月9日土曜日

菅さんあなたは恥を知らなきゃいけない!自ら去るべきです!青山繁晴 時事インタビューwith 田母神俊雄 一色正春 西村真悟各氏の動画

2011年3月20日 東日本大震災の後の大阪府堺市泉ヶ丘駅のビッグアイで行われた講演会に私も参加しました。入りきれず数百人が立ち見した凄い熱気の講演会でした。日本の戦後最大の国難に際し、憂国の国民が数多く集まりました。青山氏が、古くからの知人でもある菅首相に電話をして伝えようとしても電話にでられないので、この映像を借りて伝えられた。
「菅さんあなたは恥をしらなきゃいけない!自ら去るべきです!」



※会場には、石平さんが、新婚の若くて可愛い奥さんを連れて観客席に参加されていました。
また、拉致被害者 有本恵子さんのご両親(西村眞悟氏の講演会にはよく参加されています)、ある特定失踪者のご両親も参加されていました。

2011-04-05青山繁晴.TVより
東日本大震災の影響により数多くのイベントが自粛•中止する中、
3月20日に大阪府堺市で行われた講演会
 「青山繁晴 時事インタビューwith 田母神俊雄 一色正春 西村真悟」
 一部ながらお届けします。
3月11日に日本を襲った東日本大地震、この国難に青山繁晴は何を思い、何を考えたのか!? 
震災直後の3月20日までの事実経過を、日本の危機における国家安全保障と、
自主エネルギー確保の視点から分析します。 
動画はコチラから→ http://bit.ly/fJoFSy              http://bit.ly/hUK6Q7
 
西村眞悟氏と青山氏の司会による田母神氏、一色正春氏、西村眞悟氏がパネラーとなる大災害から日本を復興させる意見をお聞きした動画

動画はコチラから→ http://bit.ly/fvnzrs



「西村氏の訴えられたこと 2011年3月21日眞悟の時事通信よりhttp://bit.ly/h9eLaw
1、この度の、東北関東大地震と津波を、我が国の運命のなかに位置づけ、深く天意を感じねばならない。


振り返れば、本大震災に至るまでに、我が国は次のような経過をたどっている。


①まず第一に、我が国の戦後は、北朝鮮に拉致された多くの日本人同胞がいるのに見て見ぬふりをして放置してきた。


②平成二十年暮れには、「日本はいい国だ」と言った航空幕僚長を危険人物として更迭した。
自国をいい国だと言った者を非難して更迭する我が国政治の異常性をもっと意識しなければならない。


③平成二十一年暮れ、小沢一郎訪中団が国会を早々と閉めてしまって百四十名以上の与党国会議員を引率して北京を訪れ、胡錦涛に謁見を許されて喜んだ。
参加者も周辺も、この異常性を意識できないと言うことが我が国の異常性を証明している。


④我が国政治史上、もっとも低脳でアホな総理大臣が誕生した。


⑤我が国政治史上、国旗・国歌に反対する正真正銘の左翼が初めて総理大臣となった。しかも、馬鹿さ加減は④と同様。


⑥平成二十二年九月、尖閣周辺の領海内で中国漁船船長を逮捕したが、⑤の菅内閣は中国に屈服した。


⑦平成二十三年三月十一日、東北関東をM9・0の巨大地震が襲った。
以上、①~⑥の情けない事例を是正し⑦の大震災を克服するには、我が国の戦後体制からの脱却による国家再興が必要である。
この度の大地震により犠牲となった多くの同胞は、身を以て我が国の戦後体制からの脱却を促されている。この意味でも、決して忘れてはならない同胞である。


2、現政権、菅総理の頭の中は、人事を見れば分かる。


 日露戦争前夜、我が国政府は、陸軍参謀総長に児玉源太郎を任命し、連合艦隊司令長官に東郷平八郎を任命した。
この人事によって、我が国の、対露戦争に踏み切る決意と覚悟が定まったことが分かる。


では、この度、菅氏はどういう人事をしたのか。
ボランティア総理補佐官に辻本清美氏を任命した。省エネ担当大臣に、レンホウとか言う外国人の名を持つ女を任命した。
そして、センゴク38(サンパー)の仙石を副官房長官に任命した。
この人事で、確かにこの未曾有の大災害に遭遇した菅総理の頭の中が分かる。つまり、絵に描いたようなパーである。


3、今必要なことは何か


 今必要なことは、総理の「国家総動員体制構築の決断」である。物資が被災地に運ばれる映像がテレビで流れるようになった。しかし、その物資を被災者は金を出して購入している。


津波で流され金のない人は購入できないではないか。


 国家が国費で食料と油を確保し、それを被災地に運んで分配する体制を整えねば餓死者が出るではないか。
 よって総額二百兆円を調達し、国家復興のための資金として総需要を喚起すべきである。


 その資金の投入先は、もちろん被災地の復興のため、次に全土の防災のため、次に、国軍の創設と海空戦力増強の為である。


十六年前の神戸の地震でも、この度の東北関東の地震と津波でも、いざというときに国民の命を救うのは軍隊という国家組織であることが身にしみて分かったはずだ。
「国防は最大の福祉」なのだ。


4、今現在、身を犠牲にして原子炉を冷やしている人々がいる。彼らは、国家と国民を救う為に現在奮闘している。


 では、昨年秋、中国によって再び「日本は悪い国だ、尖閣で中国漁民を武力で虐める悪い国だ」というイメージを国際的に定着させられかけていた我が国を、身を犠牲にして救ったのは誰か。
それは、前海上保安官の一色正春さんだ。
彼は京都出身で名は一色。つまり、京都における応仁の乱に登場する名をもっている。
よくぞ、尖閣の映像を公表してくれた。
彼は、身の危険を顧みずに今原子炉を冷却している人々と同じように、献身的行為により、我が国を救った人物である。


 東北関東大地震と津波の最中において、堺の昨日の集会にご参加いただいた国を憂い志を同じくする多くの方々に、心より感謝申し上げます。
そして、本集会を企画し実施にご尽力いただいた同志にお礼申し上げる。


 最後に、遠路来堺していただいた田母神俊雄閣下、そして、
一色正春氏、特に、腹部手術後の退院翌日において、医師の無理するなという極めて当然の忠告を無視して来演していただき、舞台から客席に飛び降りるなどして参加者に近づき、憂国の熱弁をふるっていただいた青山繁晴氏に、心より感謝し、お礼を申し上げます。
皆さん、ありがとうございます。
皆様の友情と憂国の至情、心にしみます。
日本、万歳、天皇陛下、万歳。」


2011年3月20日 大阪府堺市講演会場 ビッグアイ

田母神俊雄氏

西村眞悟氏


一色正春氏
一色氏のコメント:国のために発言、行動したことで辞めさせられた3人
 (田母神氏、西村氏、一色氏)

青山氏が司会で、国のために行動して辞めさせられた3人がパネラーとなり大災害からどのようにして日本をたちなおさせるかについて意見をお聞きした。








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