2011年4月29日金曜日

「 最高裁に正義はないのか、大江健三郎勝訴とは」歴史捏造が勝訴する日本の戦後脱却を

 戦後の反日家達による歴史捏造が司法でまかり通っている。


今回の最高裁の判決は、大江の捏造歴史を取り上げ、赤松氏側の提訴を退けた。日本国の名誉まで貶(おとし)める結果となったことは残念でならない。


 南京大虐殺は、中国の捏造であることは数々の証拠を積み重ねて明らかになっている。しかし、稲田朋美衆議院議員が、弁護士時代に戦った南京の100人切りという捏造記事で死刑になったお二人の軍人のご遺族がおこされた、名誉毀損、事実捏造に関する裁判も敗訴となっている。いったい日本の司法はどこの国の司法か。いつまで、反日活動家、中国の捏造を許すのか。


 戦後の捏造歴史を打ち破る着実な国民運動と、稲田議員のような正しい歴史観を持った議員が構成する内閣が必要である。


参考:
沖縄戦「集団自決」の謎と真実

沖縄戦・渡嘉敷島「集団自決」の真実―日本軍の住民自決命令はなかった! (ワックBUNKO)

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眞悟の時事通信 2011年4月25日(月曜日)より
http://www.n-shingo.com/cgibin/msgboard/msgboard.cgi?page=624

 最高裁に正義はないのか、
  大江健三郎勝訴とは


 実は、このことは昨日に書くべきことだった。
マスコミ界では、大震災の東北被災地の様子や福島原発そして地方選挙の投票状況に目がいって、大江健三郎が、最高裁で勝訴したことは意外に小さく扱われていた。
しかし、この最高裁における大江健三郎勝訴判決は、我が国の最高裁判所が、


「国家における真実と正義」を認識できない
戦後の時流の中で泳いできた反日家達に
よって構成されていることを明らかにした
決定的「事件」である。


彼ら最高裁の裁判官達は、大江健三郎と同じ種類の人物で、自己の偏見によって裁判の基本である「事実認定」すらできなくなっているのか、もしくは、偏見を正当化するために事実認定を放棄して司法を裏切っているのか、どちらかである。


大江健三郎のことは、三月十一日の東日本大震災襲来以来、二~三日の携帯食料だけで被災地に入って屋根の下で眠ることなく、不眠不休の救助活動を続けている自衛隊員のご苦労を思うとき、時々脳裏の片隅に浮かんでいた。


「そういえば、大江という馬鹿がいて、この自衛隊員を同世代の恥だと罵っていたなー」と。


するとこの度、最高裁判所において、沖縄の渡嘉敷島などで大東亜戦争の沖縄戦で「軍の命令による住民の集団自決」があったと書いた大江の「沖縄ノート」(岩波書店刊)の記述が事実と認められ、「軍命令はなかった」とする原告の主張を認めない判決があり確定した、という報道があった。


大江の「沖縄ノート」では、渡嘉敷島の島民などは、軍の命令で集団自決に追い込まれたと書かれている。
大江は、その命令を赤松大尉が下したとして、赤松大尉をナチのユダヤ人大量虐殺者と同じであると罵倒し、「屠殺者」と表現している。


しかし、そのような命令を下していない赤松大尉としてはたまったものではない。また、これは、戦史における日本国の名誉がかかった問題でもある。


そこで、赤松大尉は原告となり、大江健三郎と岩波書店に対して自己の名誉の回復と、事実に反する「沖縄ノート」の削除をもとめる訴訟を提起したのである。


そして、この原告の主張を退け、軍命令はあったとして、原告を「屠殺者」とする「沖縄ノート」を未来永劫残すべしとしたのがこの度の最高裁判所の判決である。


では、赤松大尉の渡嘉敷島民に対する「集団自決せよ」との命令は、あったのか。その命令に従って島民は集団自決したのか。真実はどうなのか。


作家の曾野綾子氏は、沖縄の渡嘉敷島で現地調査を行い、生存者の証言を得ている。その証言は、


1、赤松大尉は、住民に自決するなと命じていた。


2、住民は、遺族年金をもらうために軍の自決命令があったと申告した。


この二つの証言があれば、事実の認定は明らかである。
集団自決の軍命令はない。
赤松大尉は集団自決を命令していない。
これ以外の結論は、ありえない。


しかるに、最高裁は、赤松大尉を「屠殺者」として罵倒する「沖縄ノート」の記述を護った。


無実の者を犯罪者として処罰しようとした検察は厳しく批判され断罪されている。


そうであれば、無辜を「屠殺者」とする「沖縄ノート」を存続させる最高裁も断罪されねばならない。


しかし、最高裁は、平然とそれを為して制度上批判を免れている。最高裁に「正義(ジャスティス)」はないのである。
我が国に、「司法」はないのか。


反日作家の大江に「屠殺者」とされた赤松大尉の無念、ご家族のやるせなさ、お察し申し上げる。
そして思う。
反日活動家、反日作家が、如何にまっとうな国民を言われなく苦しめてきたか。大江に恥辱とまで罵倒された自衛官達は如何に情けなかったか。


従って、もうこのような者達が「活躍する」ような戦後日本から脱却しなければならない。


ノーベル賞作家大江健三郎、彼と同じ年代の最高裁判所の担当判事達、そして、防衛大学校の校長でありながら総理の靖国参拝を非難する「衰亡構想会議」議長などは、全てトサカから足の裏まで「反日」という戦後の時代病に犯されているが故に出世した哀れな時代の廃物である。


さはさりながら!
最高裁の判決がどうであれ、
虚偽を書き連ねた大江の「沖縄ノート」が残ろうと、
集団自決の軍命令はない。


このことを確信しよう。国家の名誉を護ろう。
そして、何時もご冥福を祈ろう。
沖縄戦において集団自決していった多くの島民の皆さん。
また攻めてくるアメリカ軍を前にして、負傷兵の側を離れず戦死していった女学生である多くの看護婦の皆さん。
皆さんは、屈辱の生より栄光の死を選んだ英霊です。


イスラエルが、
二千年前の死海の畔のマッサダの砦で、ローマに降伏するより栄光の死を選んで集団自決した千名のユダヤ人を今も忘れず、
一九四四年十一月、二十三歳で栄光の死を選んでナチスに殺害された女性兵士ハンナ・セネッシュを今も忘れないように、
我が日本も、
沖縄戦における幾多の英霊に手を合わせてその苦難を思い、決して忘れてはならない。


最後に。
日本文学を研究してこられたドナルド・キーンコロンビア大学名誉教授(八十八歳)は、東日本大震災の発生から日本国籍を取得し日本に永住することを決心したという。
キーン教授は、自分が日本人と同じように感じていることを行動で示したかった、日本国民とともに何かをしたい、と読売新聞に語っている。日本への帰化は、震災で決意した。日本への期待と確信の表現だという。
キーンさんは、大東亜戦争末期に我慢強く疎開する人々を上野駅で見かけ、「こうした人々と共に生き、ともに死にたい」、「日本を愛し信じている」と日記に書いた作家の高見順に触れ、「私は今、高見さんの気持ちが分かる」と語った。
ドナルド・キーンさんは、年齢から見て、日本を死に場所にしたいのだ。
この報に接し、感動した。
東日本の苦難の中の人々と運命をともにしたいと、外国から日本に来られる文学者がいる。ありがたいことだ。


すると、同じ文学に携わる日本にいる大江という人物のことを思はざるをえない。
大江氏が、ドナルド・キーンさんと反対に、「沖縄ノート」という祖国の名誉を傷つける反日偽書を残すことに固執するほど日本が嫌いで、今黙々と働いている自衛隊を恥辱だと思うのなら、日本から出て、ノーベル文学賞をぶら下げて、あこがれの近くの人民共和国にでも帰化し移住されたらどうかと。セイセイする。
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産経ニュース2011.4.22 13:01より
http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110422/trl11042213010001-n1.htm

沖縄集団自決訴訟
 大江健三郎さん側の勝訴確定 最高裁

 太平洋戦争末期の沖縄戦で旧日本軍が「集団自決」を命じたとするノーベル賞作家、大江健三郎さんの「沖縄ノート」などの記述をめぐり、旧日本軍の元戦隊長らが名誉を傷つけられたとして、岩波書店と大江さんに出版差し止めなどを求めた訴訟の上告審で、最高裁第1小法廷(白木勇裁判長)は元戦隊長らの上告を退ける決定をした。集団自決についての軍の関与を認め、名誉毀損を否定した大江さん側勝訴の1、2審判決が確定した。決定は21日付。


 原告は元座間味島戦隊長で元少佐の梅沢裕さんと、元渡嘉敷島戦隊長の故赤松嘉次元大尉の弟の秀一さん。「沖縄ノート」と、歴史学者の故家永三郎さんの「太平洋戦争」の集団自決に関する記述をめぐり、「誤った記述で非道な人物と認識される」として提訴していた。


 争点は軍や元戦隊長らによる住民への命令の有無だったが、同小法廷は「原告側の上告理由は事実誤認や単なる法令違反の主張。民事訴訟で上告が許される場合に当たらない」として、判断を示さなかった。


 1審大阪地裁は「集団自決に軍が深く関与したのは認められる」と指摘して請求を棄却。2審もこれを支持し、控訴を棄却していた。










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