2011年4月29日金曜日

戦後最大の国難の東日本大震災で「戦後」から脱却するときが来た

 今日の「昭和の日」に、心に染(し)みた正論をご紹介します。昭和天皇陛下が、二度の国難である関東大震災と敗戦の際、日本国民が茫然自失であった時、全霊を持って国民を励まされた。この後、日本は新たな姿で蘇った。いま、今上天皇陛下が被災者の方々を全霊を持って励まされている。三度目の国難の後は、戦後六六年の日本人弱体化洗脳からの脱却と入江名誉教授が指摘されている。そうありたい。
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MSN産経ニュース2011.4.29 02:58より
【正論】明治大学名誉教授・入江隆則
 日本よ、「自分の足で」立とう



 3月11日の東日本大震災から1カ月半がたって、「昭和の日」がやってきた。


今回の大震災は、明治以来最大規模の巨大地震、大津波、それとともに福島第1原発の炉心損傷による放射能災害という三重苦に苛(さいな)まれていて、人々はしばらくの間、「茫然(ぼうぜん)自失」の状態にあった。
その中で、今上(きんじょう)陛下が3月16日に、国民に向けたビデオメッセージを発表され、また皇后陛下を伴って被災地に入られ、直接、被害者を励まされた。


 私事で恐縮だが、目下シンガポールに滞在中の私の娘は、その日の電話で「こういう時になると、天皇の存在の意味が分かるね」と言ってきた。私はそれに同意したが、その後の1カ月、人々は少しずつ立ち直って、新時代への一歩を踏み出そうとしているかにみえる。そこで、本日の「昭和の日」を迎えて、私は昭和天皇の時代にも日本国民が2度にわたって、同じような「茫然自失」の経験をしていたことを思い出した。


 その第1の「茫然自失」は、大正12年9月1日の関東大震災の直後である。当時の元号は大正であったが、大正天皇がご病弱であられたため、昭和天皇が御歳(おんとし)20という若さで、大正10年以来、摂政宮として政務に当たられていた。関東大震災の規模は、今回の東日本大震災に比べると、幾分小さかったようだが、東京とその周辺が壊滅して、主としてその後の火災による死者が、今回の死者と行方不明者の4倍に近い、10万人を超えたということだから、人々の「茫然自失」は、今回に劣らぬ大きさだったろうと想像される。


≪大災害、敗戦と昭和天皇巡幸≫


 摂政宮は大震災3日後の9月4日に、早くも「摂政宮 御沙汰(ごさた)」を発表されて、「罹災者(りさいしゃ)ノ境遇ニ対シテハ心深ク之ヲ傷ム(中略)其ノ苦痛ノ情ヲ慰メント欲ス」と書かれている。その8日後の9月12日と、ほぼ2カ月後の11月10日には、2回にわたって「詔書」を発表されて、さらに国民を激励されている。


 昭和時代の2度目の「茫然自失」は昭和20年8月15日の大東亜戦争の敗北である。この時にはまず天皇の玉音(ぎょくおん)放送があり、日本国民は開闢(かいびゃく)以来の敗戦という事実に直面して「茫然自失」に陥った。その最中に昭和天皇は、昭和21年から29年までの8年半にわたり、165日をかけて日本のほぼ全県の3万3千キロを巡幸(じゅんこう)された。


 世界各国の君主は、その国が敗戦に遭うと、退位したり亡命したりするのが常だったから、アメリカ軍も最初は、天皇が罵(ののし)られたり石を投げられたりするはずだと考えていた。しかしその反対に、天皇がどこへ行かれても国民は大歓迎して、すすり泣き、また号泣し、その際、占領軍が禁止していた「日の丸」が振られ、「君が代」が歌われて、「君民一体」の実態が示された。占領軍の容喙(ようかい)による、23年の1年間の中断はあったものの、ご巡幸は継続された。それとともに、日本人は敗戦の「茫然自失」から脱却して、「日本の奇跡」といわれた、経済大国への道を歩み始めたのである。


≪「戦後」から脱却するときが来た≫


 さて、それでは3月11日の東日本大震災はどんな時代を終わらせるものとして解釈すべきだろうか。多くの人が同意してくれると思うが、それは何を措(お)いても「戦後」という時代の終焉(しゅうえん)でなければならないと、私は思っている。


 「戦後」という時代の最大の眼目は、アメリカの占領軍によって日本人の「精神の武装解除」が目指されたことである。


東京裁判という法的根拠のない「政治ショー」が実演され、


「日本国憲法」という名の一種の不平等条約が押し付けられたのも、その目的のためだった。


日本人は自らの歴史の解釈権を奪われて、「大東亜戦争」という呼称も禁止され、やがてその後「自虐史観」と呼ばれるようになる史観が強制された。


 世界の戦争史を振り返っても、敗戦国民が戦勝国民によって、これだけ完全に洗脳された例は、どこにも見ることができない。


 戦後の日本人が自分で自分の国を防衛するのを忘れ、


さらにまた自分の目で国際情勢を見て、それを自分の頭で考える努力を放棄してきたかに見えるのも、このためである。しかしアメリカへの過剰依存はもはや不可能となっている。


 それを如実に知らしめた「戦後」という時代の終わりこそが、3月11日の東日本大震災の際の、国民の「茫然自失」だったと考えるべきではないだろうか。


識者の多くが指摘している通り、今やアメリカの相対的な国力は衰退しつつあり、インドや東南アジア諸国の発展を含む「アジアの時代」が到来している。しかしその一角で、経済大国でありなおかつ軍事大国である中国が、西太平洋の支配を意図してもいる。


 そういう情勢の中で、日本が「自分の足で」しっかり立つことが必要であり、それこそが「戦後」からの脱却の意味である。


昭和時代の2度の「茫然自失」の後のように、われわれも自分の目で明日を見据えながら、前進しようではないか。(いりえ たかのり)
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