2011年6月21日火曜日

反日民主党政権の飯舘村他の廃村工作が見える 西村眞悟の時事通信より

眞悟の時事通信2011年6月20日より
http://www.n-shingo.com/cgibin/msgboard/msgboard.cgi?page=642
内と外、つまり被災地と
 南シナ海・東シナ海のこと

飯舘村訪問記
 十七日から十八日にかけて一泊で福島県北部の飯舘村を中心に回ってきた。メンバーは、東京からは荒木和博さんら四人、大阪からは私を含む四人。
荒木グループは、民社党出身者。このような時、こういう行動に出るのはさすが民社党出身者だと妙に嬉しい。
こういう行動とは、福島第一原発にできる限り近づくこと、そして、政府が廃村に追い込む飯舘村を守ろうということである。
十七日午前十時半、荒木さんら東京発の四人と東北自動車道の那須サービスエリアで合流し、二本松で高速道を降り、まず福島第一原発二十キロ圏へ、そして飯舘村に行った。


 東北特有の新緑の美しい落葉広葉樹の森の中を走る山道を抜けて浪江町の津島中学校横まで来ると、道路に検問所があり神奈川県警のバスが止まっていた。そしてバスの中から警官が出てきて「これ以上入れません」という。彼らも平服でマスクをしているだけ。
之で明らかなように、高田純札幌医科大学教授が四月十日に福島原発正門前の現場で発表したように、やはり危険ではないのだろう。危険なら、彼らのように、一日中、ぼうっと検問所にはおれない。
とはいえ、科学的に根拠があるのかないのか、政府の言う「基準」が一人歩きして、二十キロ圏内立ち入り禁止で津島中学校に人影なく、飯舘村も廃村に追い込まれているわけだ。
この検問所に来る道中も、ここから飯舘村に向かう道中も、山中に農家が点在しているのだが、人影はない。異様である。その山中で一匹の胴体が黒くて足の先と鼻の先と耳の先が白い犬が嬉しそうに車に近づいてきた。そして、走り去る我々の車の後を暫く追いかけてきていた。飼い主が去り、犬だけが残ったのだろう。


 午後三時過ぎ、飯舘村役場に着く。役場前に設置された放射能計の値は、3・44マイクロシーベルトで、以後我々が立ち去るまで3・33から3・5の間を上下していた。
村役場では、二十二日の移転のために多くの役場職員が無言で働いていた。そして、忙しいなかを菅野典雄村長が出てきてくれたので、荒木氏が村長に民社人権会議が集めた義援金を手渡した。
私は、飯舘村を支援するために、チャンネル桜の水島聡さんらが計画している「飯舘村の大地で野菜やコメを育てて食べたい」という望みを伝えた。
すると村長は、寂しげに「飯舘村では野菜の栽培を禁じられているのです」と答えた。
飯舘村では、平成二十年に「私たちの思い出をみなさんに」~映像で綴る飯舘村の50年~というDVDを制作していた。そのDVDを村長に戴いて、移転で忙しい役場から退出した。


 菅内閣は、六千名の村民の移転先も確保せず、移転後の村民の村に残された財産を如何にして守るかの手立てもせずに飯舘村に移転を迫っている。
まるで、かつてアメリカ政府がインディアンに郷里からの立ち退きを迫った強権的なやり口とそっくりである。
従って、菅野村長と村職員は、村民の生活と財産を守るために三ヶ月間忙殺されてきた。十分頑張っておられる。それ故、部外者である我々は、頑張っておられる村長に、「頑張って下さい」とは言いにくくなり、ただ、「お体をご自愛ください」と頭を下げて退出したのである。


 なお、ここで言っておく。
民社党出身者の中には、現在民主党にいて、鳩山や菅にゴマをすって大臣になり、恥を晒しているのもおるが、これらは民社党を利用した面々であり、魂はとっくに売り渡しておるので真の民社党出身者ではない。
真の民社党出身者とは、特定失踪者調査会で頑張っている荒木和博さんのように、全国の各地域で拉致被害者救出や尖閣防衛に立ち上がっている仲間の中にいる。保守の政治評論を続ける遠藤浩一さんもそうだが、これら民社党出身者は、戦後体制内の自民や民主では踏み込めない、国家と国民を守る実力を備えた日本の再興を目指している。


 その後、村民の豊かさを示す飯舘村の立派な大社造りの郷社綿津見神社に参り、各所を訪ねて午後五時頃までいて、荒木さんのグループは東京に帰り、我々は福島で一泊した。
翌日、相馬市新田の浜を訪れると見渡す限り津波で根こそぎ薙ぎ倒されていた。そこにぽつりと鎮守の森があった。鳥居も社屋も倒れていたが、千年の杉の大木は、葉を赤くしていたもののなお枯れずに佇立し、その杉の木に枯れた木々が寄り添っていた。
千年前にもこの付近を巨大津波が襲ったらしい。だとすれば、この杉の大木は千年前の津波が去ってからここに芽生え、千年後にこの度の津波に遭遇したのだ。
倒木を跨いでその杉の千年の幹に近づき、そこに両手を付け、枯れずに頑張ってくれと念じた。


最後に、3・5マイクロシーベルト前後という、低線量率放射能を二日間経験した結果を言う。
極めて爽快である。大阪にいるより、肩のこりがとれる。


南シナ海・東シナ海


 直前の時事通信で、南シナ海のことに触れた。
六月十二日、
アメリカ第七艦隊空母、ジョージ・ワシントン、横須賀港出港
六月十三日、
ベトナム海軍、中部ベトナム東方沖で実弾演習
六月十五日、
中国のヘリ搭載大型巡視船、シンガポールに向けて出港
この動きを見るとき、アメリカのプレゼンスを強く感じる。
十二日に空母ジョージ・ワシントンが出港するということは、まず、潜水艦、巡洋艦、駆逐艦が出港しており、それらが洋上で「空母機動部隊」を構成している。そして、その部隊は南シナ海におる。
やはり、アメリカは、昨年四月、シンガポールでゲーツ国防長官が「アメリカは、アジアに帰った」と言い、七月、ハノイでクリントン国務長官が「南シナ海の航行の自由はアメリカの国益である」と宣言しただけのことはある。ベトナムの南シナ海での実弾演習の実施という対中強硬姿勢は、ハノイでのアメリカ国務長官の発言を受けてのことである。


 そこで我が国のことであるが、我が国の鳩山、菅と続いた民主党内閣は、昨年のアメリカ国防長官と国務長官のアジアでの宣言に関して痴呆的に無関心だったのである。
しかしながら、その時、幸いにも我が国に、痴呆ではなく、まっとうな総理大臣がおれば、ベトナムがアメリカの姿勢を背景にしてこの度の対中強硬姿勢をとったように、我が国政府も、中国の恫喝に屈することなく、中国漁船船長を断じて釈放してはならなかったのである。
南シナ海の航行の自由がアメリカの国益ならば、東シナ海の航行の自由もアメリカの国益である。しかもそれら海域の航行の自由は、まさに我が国の国益でもあるので、日米両国の利害は一致していた。
従って、東シナ海での菅内閣の対中屈服は、日本国民に屈辱を与えた裏切りであると共に、同盟国アメリカに対する裏切りでもあったのである。


 かく言う趣旨は、我が国はアメリカに追随せよというのではない。我が国が核ミサイルと空母機動部隊を保持していない現状に於いては、広大な西太平洋に展開する能力のあるアメリカの力が何処にあるかを視野に入れた上で、南シナ海と東シナ海を全て奪おうとする核ミサイルを持つ中国に対する我が国の行動を決することが現実的であると指摘しているのである。
従って、現在、アメリカが空母機動部隊を以て、中国に対処しようとしているように、我が国も早急に空母機動部隊を保持する国防体制を構築しなければならないということだ。そうすれば、日米同盟関係は1+1以上の最強な力を持つに至る。
そして、東アジアにおけるこのような日米関係の存在は、台湾を防衛しASEAN諸国の安全を確保して、アジア諸国民のための真の繁栄をもたらす基盤となる。


 さて、我が国の国防上の観点から、この度の東日本大震災に於いて、仙台空港の復旧と気仙沼沖の孤立した大島救援が、アメリカ軍によって行われたことは記憶しておくべきである。特に、大島救援はアメリカ軍の支援を待たねばならなかった。人口三千五百人の大島は本土からのフェリーが途絶して地震後二週間以上にわたって孤立していた。
そして、この普及と支援がアメリカ軍によって為されたということは、我が国では自国民を守ることが出来なかったということなのだ。従って、之を為せる能力を我が自衛隊が確保することが、国防上、また災害救助においても極めて重要な課題である。
そこで、この能力確保の為に、救援に来てくれたアメリカ軍は、この大震災直前には何をしていたかを知ることは大きな参考になると思うので、次にそれを書いておきたい。


 三月十一日直前のアメリカ軍の動向を概観しておく(北村淳編著、「写真で見るトモダチ作戦」並木書房より)


1、佐世保を母港とする海軍水陸両用戦隊の旗艦である強襲揚陸艦エセックス(四万五千㌧)、輸送揚陸艦ジャーマンタウン、イージス駆逐艦ストックデールの三隻は、タイで行われたタイ軍との軍事演習「コブラ・ゴールド」を終えて、次のカンボジア軍との演習の為に、カンボジアに移動した。
エセックスとジャーマンタウンには、沖縄のキャンプ・ハンセンを本拠地にした海兵隊の第31海兵遠征隊が分乗していた。エセックスは、三月十一日、マレーシアのコナキタバルに入った。


2、原子力空母ロナルド・レーガン空母打撃軍は、韓国軍との合同軍事演習に参加するため、日本周辺海域にいた。この打撃軍は、空母ロナルド・レーガン、イージス巡洋艦、イージス駆逐艦から構成され、海軍戦闘機部隊、海兵隊攻撃部隊、対潜ヘリコプター部隊ら八航空部隊を搭載していた。


3、第七艦隊の旗艦である揚陸指揮艦ブルーリッジは、親善訪問のためにシンガポールに向かっていた(十一日着)。原子力空母ジョージ・ワシントンは横須賀で整備作業中であった。


 これら三つの海域にいたアメリカ軍各部隊は、三月十一日の地震発生から直ちに救援行動を開始する。即ち、シンガポールにいた第7艦隊の旗艦である揚陸指揮艦ブルーリッジとコナキタバルにいた第11海軍水陸両用戦隊の旗艦である強襲揚陸艦エセックスの艦橋には、既に上陸していた乗組員や海兵隊員に対して「総員帰還せよ」を示すPAPAフラッグが掲げられた。
そして、二隻の原子力空母ロナルド・レーガンとジョージ・ワシントンをはじめとしたこれらの艦艇は、日本国内の基地とアジア各地から三陸沖に集結してくる。そして海からの被災地偵察と人命救助さらに大量の物資輸送を開始した。また、二週間にわたって孤立していた大島(島民三千五百人)を助けたのは、強襲揚陸艦エセックスからの救援部隊の上陸と大量の救援物資、水、食糧の陸揚げだった。


 以上の通り概観した上で言いたい。
我が国が、このような陸海空軍部隊を運用する構想と、運用する能力を獲得したとき、我が国の安泰と西太平洋と東アジアの海の安定がもたらされるであろう。
従って、それを為す政治を築くことが我々の目的であり使命である。


 なお、支那人が盛んに言っていた六月十七日の尖閣包囲網構築のことであるが、六月の半ばから現在にかけて尖閣周辺海域は強い時化に見舞われているという報告である。従って、支那人は現在の所、尖閣に近づいていない。
とはいえ、この強い時化の中で、海空から尖閣防衛のために監視、警戒活動を続けている海上保安官と海上、航空各自衛隊の諸君の努力に深く感謝したい。








太陽光発電ナビ