西村眞悟氏 時事通信 2011年1月16日より
「何に対処する内閣改造なのか」
何故、この度の内閣改造が、「あほらしい」のか。
それは、与謝野さんが入閣したからではない。
官房長官が左翼の兄ちゃんだからではない。
元参議院議長と元衆議院副議長が入閣し、
かつて自由党の幹事長で、
「みなさーん、いいですか、小沢イズムはもう完成直前なんですねー」
と小沢さんの前でごまをすっていたじいさんが官房副長官となった。なるほど、廃品の再利用である。
これらは、一度、「上がりー」となって、今は歳費だけは受け取っている輩である。こんなのは、中小企業の人事でも、一体何を考えてるのかとなる。
しかし、中小企業ならぬ我が国の内閣だけは、大まじめで、改造人事が報道され、「支持率上昇34%」(読売朝刊)だと。
では一体、この内閣改造の何が最も「あほらしい」のか。
それは、総理大臣の菅が、昨年が如何なる年で本年が如何なる年になるか、全く意識していないのが見え見えだからである。
つまり、与えられた具体的な時代のなかでの「政治家の使命」から不感症な代物の人事が、この度の改造である。
はっきり言って、この総理大臣には、中国共産党の中華帝国主義の侵略に対処して我が国の主権を守り国民を護ろうという意識がない。それが、見え見えになった改造である。
この内閣で、東シナ海、尖閣、沖縄が、守れるのか、考えていただきたい。彼らは、昨年と同じことを繰り返す。つまり、屈服する。
従って、また、中国の高笑いが聞こえる。
菅総理のこの改造は、中国に対して、日本に対してさらに圧力をかけても大丈夫ですよ、というサインとなっている。
昨年の9月からの事態を想起されよ。
特に、9月24日の、中国「漁船」の船長釈放を如何に位置づけるべきか。
明治28年4月17日、日清戦争に勝利した日本は、下関条約によって、清国から遼東半島の割譲をうけた。
しかし、6日後の4月23日、ロシア、フランス、ドイツの三国は、我が国に対して遼東半島を放棄せよと武力の威圧のもとで「勧告」してきた。
我が国世論は、この屈辱に激昂したが、軍事的にも財政的にも、ロシア、フランス、ドイツの三強国を相手に新たな戦いを起こす力なき我が国は、「他策ナカリシヲ信ゼムト欲ス」という思いで「勧告」を受諾して遼東半島を清国に還付した。
これが、三国干渉である。
そして、我が国の三国干渉への屈服は、ロシアの東アジアへの勢力拡大への道を大きく広げ、朝鮮の侮日とロシアへの迎合を促し、日露戦争を不可避とする情勢を作り出してゆく。
それ故、事態を知る国民は、「臥薪嘗胆」のかけ声と共に、ロシアの軍事力に対抗する軍事力を保持して国家の安泰を確保しようと決意したのである。
我々が、今、日本人として生まれて日本人として生きているのは、この時の日本人の「臥薪嘗胆」の決意の御陰である。
そこで、言う。
昨年の9月24日の船長釈放は、我が国が再び「臥薪嘗胆」を発動すべき事態であった、と。
何故なら、その時の中国への屈服により、中国はかつてのロシアのように、本年、さらに軍備を増強し、東シナ海を中国の海と見なして我が国のシーレーンを扼し、尖閣を飲み込み、沖縄本島への野望を露骨にして押し寄せてくるからである。
菅総理が、内閣を改造するというなら、昨年の自らの体験に基づいて、この事態に対処するための内閣に改造することが、政治家としての責務であった。
しかし、その問題意識は、全くない。
明治の為政者は、三国干渉に直面して、自らの軍事的かつ財政的余力を直視して、「他策ナキ」結論を出したが、決して「屈服」したのではない。
ところが、昨年の菅は、「屈服」したのだ。
犬でも、兵隊でも政治家でも、一度、相手に対してシッポを股の下に巻いて屈服したものは、使い物にならない。
従って、この度の内閣改造は、シッポを巻いている使い物にならないやつが、廃品を集めたということで、あほらしいのだ。そして、この中に、我が国の克服すべき危機の正体がある。
そこで、こと、ここに至って、我々は!
我が国を護るものは、昨年秋以来、全国各地で盛り上がりを見せてきた、現亡国内閣を打倒して、中国に屈しない誇りある保守救国内閣を誕生させようとする国民の熱情、即ち、明治維新の原動力となった「草莽の崛起」であると、まず確認しよう。
昨日15日、本年初めて上京した。
上京してすぐ、多摩にある武蔵野御陵の昭和天皇に参拝し、それから九段の靖国神社に参拝した。
祈るのは、
御皇室の彌榮と我が国家の安泰という不可分の一念。
昭和の終わりに近づいたころ、堺市の家の近くの仁徳天皇陵南側にある大仙公園で、全国植樹祭が行われた。
私は、よちよち歩きの長男の手を握って、仁徳天皇陵のほとりで、昭和天皇をお待ちしてお迎えした。
天皇陛下が近づかれたとき、急に静寂の気が回りを覆い、付近が日常的な空間ではなくなり、次にあわあわとした御存在が前を通り過ぎて行かれた。
あの情景は、今でも甦る。まるで、この世のことではないようだ。
そして、仁徳天皇陵に参拝する度に、昭和天皇を思い、
ここで、手を引いてお迎えしたんだなー、と、幼かった長男のことを思う。